働かざる者たちによる物語『WORKING!!』

WORKING!! 5 (ヤングガンガンコミックス)

WORKING!! 5 (ヤングガンガンコミックス)

 ある組織や集団が効率よく仕事をしようとするのであれば、ひとりひとりが役割を分担して協力するのが良い。分業は集団作業のひとつのスタイルであり、とりわけ大工場労働をはじめとした近代以降の労働形態を特徴づけるものである。
 「はたらく(work)」は、その元々の意味に立ち帰れば、肉体や精神を機能させて何かを作り出すことである。そうして作り出されたもの(work)は「製造物」「作品」である。あるひとつの作品を完成させるためには、はたらかねばならないわけだが、それは何も作品の製作者だけに限られるわけではない。その作品のなかで機能する個々の部品が全体を形成するよう適切な役割を与えられ、分業させられる。これもまたはたらくことである。
 物語のなかで登場人物はそれぞれの役割を与えられる。役割を忠実に果たす登場人物は作品を完成されたものにするうえで欠かせない。逆に、役割が定まらない、役割を十分に果たせない登場人物は物語のメインストリームから外れていく。物語の本筋は登場人物たちの分業の成果であり、話の途中でころころと人物の役割が変更されてしまうような物語は主題のつかめない漫然とした作品になる。おもしろいことに、読者はたとえ登場人物の固有名をおぼえていなくとも、物語上の役割さえつかめれば話を読み進めることができる。それは物語の本筋が登場人物たちの役割の網の目、いわば分業によって構成されていくからだ。推理小説やサスペンスは、話が進むにつれて登場人物たちの役割が次第に明らかになり、「犯人」の役割に特定の人物が当てはまること(分業の穴埋め)によって物語が完成する。最も素朴なラブストーリーは、「愛し合う二人」という役割が成就することを読者が期待するところに感動の中心がある。だから、二人にまつわるその他の役割は副次的な衣装にすぎない。
 ふつう、物語のなかを動き回る登場人物たちは自分に与えられた役割に疑問を抱かない。犯人を追い回している刑事が「そもそもなぜ自分が事件を解決しなければならないのか」と疑問に駆られ職務を放棄すれば、いつまでもそのサスペンスは終わらないだろう。あるいは「愛し合う二人」が「なぜ自分が恋をしなければならないのか」と立ち止まって考え込んでしまえば、それは読者や視聴者が期待するのとは違う話になる。物語の本筋が安定して進むには、登場人物たちのこうした無自覚がある程度必要なのである。
 『WORKING!!』は、ほとんどまともに「はたらかない」ファミレス店員たちの物語である。たまにつくられる料理は、店長の杏子の胃袋におさめられるばかりで、たまに登場する男性客は伊波に殴られるがための獲物である。基本的に時間経過が描かれず、会話劇であるこの作品では、仕事上の役割はほとんど意味がない。彼らの物語上の役割は別のところにある。たとえば、小鳥遊宗太は「小さいものが好き」である。伊波まひるは「男を見たら殴る」。種島ぽぷらは「小さい」。白藤杏子は「働かない店長」であり、轟八千代は「杏子のことしか頭にない」。佐藤潤は「八千代のことが好きで、種島をからかうのも好き」だが、相馬博臣はそんな佐藤をはじめとした「同僚たちの秘密を握って優位に立つ」。山田は「甘やかされたいが、しかし甘やかされない」。誰一人として仕事をしない。
 その一方で、『WORKING!!』は、自分に与えられた役割に疑問を持つファミレス店員たちの物語でもある。小鳥遊宗太は「小さいものが好き」なはずなのに、小さくもなければ年上で凶暴な伊波まひるの良さがわかってしまったことに苦悩する(5巻57,58頁)。その伊波まひるは「男を見たら殴る」ほど男性恐怖症なのに、小鳥遊を好きになってしまって苦悩する。しかも彼女は「小鳥遊に恋する女の子」という新たに与えられた自分の役割にさえ疑問を持ったり(4巻7,8頁)、男性恐怖症だからこそ小鳥遊にかまわれている自分の立場に葛藤する(4巻88,89頁)。種島ぽぷらはさかんに「小さくないよ」と自分の役割を否定し、山田もまた「甘やかされない」自分の役割を乗り越えようと奮闘する(両者とも無駄な努力ではあるのだが)。八千代は「杏子のことしか頭にない」はずなのに、なぜか佐藤が気になり始め、その佐藤は種島いじりに飽きてきたと悩む(5巻85-90頁)。相馬は他人の秘密を握って優位に立つのが自分のキャラだと思っているが、山田を泣かせているところを逆に見られて動揺する(3巻55,56頁)。彼らは自分に与えられた物語上の役割に疑問を持ったり、否定したりする。特に小鳥遊と伊波にそれが顕著である。
 おもしろいのは、こうした登場人物たちの煩悶がむしろ『WORKING!!』の本筋を形成している、ということである。まさしく、ファミレス店員としても、物語の一役割としても登場人物たちがはたらかないところに『WORKING!!』の魅力がある。もし、伊波が男性恐怖症で凶暴なだけであり続けたら、いまのような人気は得られなかっただろう。小鳥遊がただひたすら小さいものを愛でるだけだったら、逆に物語は進展しなかっただろう。種島に強制されてではあるにせよ、自分の役割ではないと内心思いつつ、伊波をほめてみたり(1巻74頁)、彼女の男性恐怖症を治せば解放されると思いつつも、誰かわからない男が好きだと聞いて釈然としなかったりする(5巻26頁)。はじめに自分に与えられた役割と、いま自分が置かれている状態との食い違いに葛藤し、安定した無時間的な4コマ漫画の世界を動揺させる。この動揺こそが『WORKING!!』の出来事の進展(時間の進行ではない)を形成している。
 反対に、「働かない店長」の杏子や「空気のような」音尾は自分に与えられた役割に忠実である。本来、こうした登場人物のほうが物語の本筋を組み立てるのに使われやすいはずなのだが、『WORKING!!』では逆にメインストリームから外れてしまう。彼らが主として絡む話は、いつまでも時間が進まない漫画世界を構築し、いつも通りに日常でした、という「空気」をつくる。しかし、それは『WORKING!!』の魅力のもとではない(それゆえ、『WORKING!!』を「空気系」の4コマ漫画だと評価するのは一面的である)。あくまでも杏子や音尾の役割は、あるいは佐藤がいつものように種島をいじり、八千代がいつものように杏子にべったりすることの物語上の役割は、小鳥遊や伊波が葛藤して進めてしまった物語世界の進行にブレーキを掛けることである。ちょうど反対方向へと力がはたらく二つの歯車が拮抗しているところに、『WORKING!!』の物語は展開する。
 さて、人物が葛藤するだけであれば、それはべつだん珍しいことではない。主人公が戦うことや自分の使命に疑問を抱き、悩みながら成長する物語はマンガのなかでも数多く見られる。葛藤は、はじめに与えられた自分の役割を変化させ、更新する契機である。とはいえ、更新された役割は以前の役割の否定の上に成り立ち、その人物の立ち位置が変わるだけで物語の本筋は大きく変わらない。たとえば『ダイの大冒険』で敵であったヒュンケルは、その後仲間になる。しかし、この役割の変化はなるべくしてなった、というストーリー上の理由付けがなされる。そして彼が敵という役割から外れるだけで、敵の役割をするものが全くいなくなるわけではない。物語の大枠から見れば、分業の構造は変わらず、人物の配置が変わるだけなのである。かつての敵が仲間になり、また新たな敵が現れる、というパターンもまた安定した物語の一ヴァリエーションにすぎない。
 ところが『WORKING!!』では、登場人物たちは葛藤しても成長はしないし、ほとんど役割を変えない。相変わらず伊波は小鳥遊を足蹴にし(5巻78頁)、その小鳥遊は小さいもの(主に種島)を愛でている。彼らは成長物語を展開させるような役割変更をしない。いわば無駄に葛藤し、無駄に苦悩する。役割に忠実でないばかりか、そういう意味でも彼らは物語上適切にはたらいてはいないし、何も生み出さない。
 物語上の役割を忠実に果たすわけでもなく、また役割変更というダイナミックな展開をつくるわけでもない。前者からすれば、それは安定した物語を崩しかねない契機になり得たであろう。他方、後者からすれば、動きのないほのぼのとした、安定した物語を期待しえたであろう。そのどちらでもない、という形で「はたらかない」姿をこれほど魅力的に描き出したマンガは、希有ではないだろうか。