『謎の彼女X』3巻 植芝理一

 『謎の彼女X』は二つの意味で禁欲的である。
 ひとつは、作者・植芝理一にとっての禁欲的な姿勢。彼のまさに十八番と言うべき伝奇的、オカルト的な物語構成がこの作品においては慎重に排除されている。もちろん、それに近いものを想起させるガジェットが夢の場面や卜部のファッションに使われることはある。だが、基本的には高校生の男女交際という日常の側で物語は進む。これは、植芝理一にとって(そして植芝作品のファンにとっても)非常に禁欲的な姿勢を強いられているといっても過言ではないだろう。3巻の巻末で植芝自身が、編集サイドからの指摘を受け入れる形でこの路線を採ったことに言及していることからもわかる。
 もうひとつは、よだれである。椿明と卜部美琴の二人はよだれによってコミュニケーションを図ることができる。それは感情や体の変化を相手に移すことであったり、記憶を伝えることだったりする。表情の起伏が少なく、積極的に自分のことを話すわけでもない卜部の考えや行動は椿にとってまさしく謎そのものだ。彼女が何を考えているのか、彼女がなぜそんな行動をするのか、そのひとつひとつに椿は悩まされる。そして、行き詰まったときに「卜部のよだれをなめる」ことが疑問の氷塊につながる。逆もまたしかり。卜部は椿の口に指を突き刺して彼のよだれを奪うことで、彼がいったい何を考えているのかを知る。よだれはコミュニケーションの挫折を回避するための安全装置なのだ。もっとも、椿にとっては自分の頭の中が覗かれることで逆に困ったことも起きるのだが。

謎の彼女X(3) (アフタヌーンKC)

謎の彼女X(3) (アフタヌーンKC)

 さて、広い意味で言えば、よだれをなめあうのも、キスをするのも、セックスをするのも、互いの体液を混ぜ合わせる行為である。ただ、後の二者はそれと同時に触覚的な刺激を通して快楽を得る。他方、相手のよだれをなめることには、少なくとも触覚的な快楽はない(甘い、などの味覚的な快・不快はある)。実際、椿は卜部のよだれをなめること自体はただの日課だと考えており、そこに性的快楽を見いだしているようには見えない(逆に汚い、とも思っていない)。その点で、このマンガ作品はフェティシズムだが、椿本人にはまるでフェティッシュな嗜好がない。作品の志向と、読者がその視点を通じて作品世界に入り込む主人公の志向とは必ずしも一致しないのである。このことが理解できないと、たとえば悪辣な主人公が出ただけで、その作品は反社会性を肯定しているのだと誤解することになってしまう。
 話を戻そう。キスやセックスには、触覚的な刺激によって得られる快楽がある。他方、よだれをなめる行為にはそれがない。互いの体液を混ぜ合わせることから17歳の少年が期待してしまうであろう快楽は遅延されている。3巻に至っても彼らはまだキスすらしていないのだ(13話でキス直前までいくが)。「相手のよだれをなめる」という言葉が持つ想像上の快楽は、現実の行為には欠如しており、椿はずっと焦らされている。そして遅延される快楽の代補として彼は精神的なコミュニケーションによる快楽を得る。それは卜部の考えていることが少しずつわかってくる、気持ちを共有できる、ということだ*1。触覚的な刺激による快楽を遅延させ、代わりに精神的なコミュニケーションによる快楽に昇華させる。これは非常にストイックな行為ではないだろうか。そして、このストイシズムがはらむ、異性に対するあまりにも大きな期待と自意識過剰な脅えこそが「思春期の恋愛」物語の醍醐味なのだと言えよう。
 3巻はこうした椿のストイシズムもいよいよ限界か、といったところで終わっている。果たして「異性への欲求全開」な17歳の少年はどう転ぶのか。

*1:2巻収録の第9話ではこの快楽が椿自身の言葉で表現されている