みなみけと家族のかたち
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他方、『みなみけ』の中心となる舞台は「家」である。従来、そして現在でも、多くの人にとって通用しているのは、「家族」には両親がいて子供がいて成立する、という漠然とした観念だ。ドラマ性が求められないコマーシャルや写真広告であたりさわりのない家族像を描けと言われたら、おそらくほとんどが両親と子供のセットになるだろう。もちろん、こうした家族像は不変ではない。50年前であれば祖父母を含むのが当然だったであろうし、20年前であれば子供2人が標準だったであろうが、今では子供1人の家族像が増えている。実際には子供のいない夫婦だけの家庭もあるし、片親がいなかったり、高齢者だけだったりすることも少なくない。それでも実像とは別に、わたしたちは「家族とはこういうものだ」というあいまいなイメージを時代に応じて持っている。そして、そのイメージに即して家族のあり方の自然さ・不自然さを判断するのだ。しかも、わたしたちはしばしば「自分には自然だと思われる判断」を「正しい判断」と取り違える。
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おもしろいのは、保坂を気持ち悪いと言うのが春香ではない点である。南家の内側にどっぷりと浸っている春香にとって保坂の印象はせいぜい男子バレー部の部長程度だ。閉じた世界の内側にいる人間には外側など無に等しい。ちょうど『今日の5の2』で大人の教師や親が無に等しかったのと同じように。ところが、南家と外の世界の境界線に立つ人間、たとえばマキやアツコにはその境界線を突破して侵入しようとする保坂の「異質さ」が目に付く。保坂を内側に入れてしまうことで「南家」は変質してしまう。それを恐れるからこそ、保坂は「気持ち悪い」のだ。他方、夏奈に思いを寄せる藤岡はすんなりと「南家」に入ることができた。それは、藤岡には恋愛感情はあっても家族観がないからだ。人を好きになることは結婚することとも家族をつくることとも違う。
新しい家族像の提示は『みなみけ』のテーマのひとつである。それは、「限られた世代だけの閉じた世界」という『今日の5の2』にみられたテーマを「家」に持ち込んだ結果生まれたものだと言える。「南家」は同じ観念を共有する同じ世代にはきわめて寛容にできており、家族の幅を拡大し続ける。しかし、異なる世代、異なる家族観の持ち主には対しては排他的である。ただ、その排他性は「南家」の中心から生まれるのではなく、むしろ半身を「南家」にさらす境界線上の人々によって作り出される。この境界線上の人々によって「南家」は閉じられるのだが、それと同時に開かれてもいる。マキやアツコ、速水といったバレー部の面々がいなかったら、そもそも保坂と春香には接点など生じなかったのだから。この「鍵のかかっていない開かずの扉」こそ、「閉じた世界」像を持つマンガ作品を読み解く有用な補助線となりうるのではないだろうか。