『ハヤテのごとく!』と親の不在

 主人公のハヤテは、両親によって多額の借金を背負わされた。そこから始まる『ハヤテのごとく!』の物語には、親が不在のヒロインが3人も登場する。

ハヤテのごとく! 1 (少年サンデーコミックス)

ハヤテのごとく! 1 (少年サンデーコミックス)

 一人目はナギである。父親も母親も幼い頃に亡くしている。唯一の近親者は三千院家の当主である祖父の帝だが、別々に住んでいるし特に慕っている様子もない。ナギは亡くなる直前の母親・紫子と喧嘩別れをしたままだったことを後悔している(12巻5話)。とはいえ、マリアとハヤテという年の近い保護者たちに囲まれた今の生活に満足しているようではある。
 二人目はマリアである。彼女の場合、生後まもなく教会の前に捨てられていたことから、そもそも親の記憶がない(9巻4話)。作中では、そのことに対する強い執着や傷心は見られない。
 三人目はヒナギクである。彼女はハヤテと同様、借金と共に両親に捨て置かれた。そして、今は養父母のもとで幸せに暮らしているが、なぜ親が自分たち姉妹だけを残して失踪したのか、その理由探しに執着している。だから同じ境遇のハヤテに親近感を抱く。
 ハヤテ、ナギ、マリアの3人は親の不在にこだわらない。それよりもむしろ、今の生活が幸せならばそれで良いという考えをとる。これはハヤテがヒナギクにかけた言葉に明瞭に表れている。ヒナギクが親に捨てられた過去を告白した後で、ハヤテはヒナギクの肩を抱いて次のように言った。「理由はあったかもしれないし、なかったのかもしれません。/人から見るとずいぶん不幸に見えるかもしれませんし、心に深い傷もあるのかもしれません。/でも…今いる場所は…それほど悪くはないでしょ?」(10巻32頁)。この後、ヒナギクは自分がハヤテを好きだと自覚し、「今いる場所」に目を向けることになる。
 作中で親の不在という事実に葛藤するのはヒナギクだけで、彼女も他の面々のように「今いる場所」の幸せへと向かう。登場人物たちは決して「親探し」を始めないし、(西沢歩のような)「普通の家族」に憧れたりもしない。家族というあらかじめ前提された枠組みを持ち、それが欠如したら穴埋めをしようとする衝動に駆られないのだ。これはナギの祖父・帝が亡き娘の欠如を穴埋めしようとしていること(12巻80頁)と対照的である。
 『ハヤテのごとく!』に伏在するテーマのひとつは、欠如や喪失を穴埋めしないということである。それは同時に、あらかじめ完成された全体(たとえば両親がいて子供がいるというような家族像)を持たないことでもある。ナギは前任の執事・姫神がいなくなったことを悲しんではいるが(3巻146頁)、その穴埋めをしようとはしなかった。ハヤテが執事になったのはほとんど偶然である(1巻58頁)。他方、伊澄は母親を亡くして嘆き悲しんでいた幼いナギに対して、自分の能力で穴埋めをしようとしたことが作中で示唆されている(12巻45頁)。しかもその穴埋めは失敗し、それが伊澄の精神的な枷となって残っている。また、「家族」に限定すると欠如や喪失を心理的に穴埋めしようとしていたのはヒナギクだけだったが、「借金」という欠如(マイナス)に関してみればハヤテの執事生活はまさに穴埋めそのものだと言える。そして、そのような穴埋め作業は三千院帝が言うように「無意味」(2巻66頁)なのだ。
 一方になくしたものを取り戻したり、代わりのもので補おうとする行動様式があり、他方で欠如や喪失を穴埋めせず、欠けたままの現在を肯定していく行動様式がある。基本的には後者にウェイトを置く方向で物語は進んでいく。おそらく、ハヤテの執事生活が親の借金の穴埋め以上の意味を獲得するところに、ハヤテにとっての最終地点があるのではないだろうか。それは、ナギ、ヒナギク、歩の3人をメインにした話の一区切りが、どれも「幸せな現在の肯定」を示していることからも予想される(ナギは12巻5話、ヒナギクは10巻2話、歩の場合は11巻150-151頁)。借金の穴埋めをしなくてもよくなったとき、果たしてハヤテはナギの執事でいつづける意味を得られるのだろうか。それはハヤテが不幸な難事に巻き込まれながらも「幸せな現在」を肯定できるか否かにかかっているのである。